藤沢・風太郎効果で皆川博子を

出版業界は売り方を間違っているのではないか

双方ともに30代女性の受賞と言うことで話題を呼んだ芥川賞直木賞の同時発表。2月9日朝日新聞“逆風満帆”の佐伯泰英インタビュー,最後に皆川博子の「倒立する塔の殺人」の読了の3つの事柄が結びついたとき,そんなことを思いついた。

佐伯泰英の大ブレイクについては,私は朝日新聞の土曜版の“逆風満帆”という人物紹介コーナーに3回に渡って掲載されたことで知った。ウェブ上で検索すると同種のインタビューがあるので,すでに一部の人にはよく知られた話だったのだろう。スペインに渡り闘牛写真家となった佐伯泰英が,帰国後写真家に見切りをつけ,まずスペインに関するノンフィクションをものにし,ついでスペインを舞台とした国際謀略小説を手がけて小説家に転身するも全く売れず,出版社から官能小説か時代小説しか生きる道はないと最後通牒をつきつけられ,必死に書いた時代小説が中高年層に受けて大ベストセラー作家になったという成功物語だ。
ではなぜ佐伯泰英は大ブレイクしたのか。本人が率直に明かしている。佐伯泰英藤沢周平の愛読者であり,藤沢周平の“用心棒日月抄”シリーズを範として第一作を執筆したと。つまり,佐伯泰英の大ブレイクの背景には,藤沢周平が開拓した読者市場があったわけだ。
超一流作家の作品は,市場をつくる。藤沢周平の時代小説はポスト藤沢周平とくくられる作家たちに市場を提供した。現代のファンタジー小説第二次世界大戦後に発表されたトールキン指輪物語に出発しているように,山田風太郎忍法帖シリーズが,異能力を持った戦士の死闘という物語形式を生み,小説のみならずマンガやアニメにも多大な影響を与えているように,類似の現象はいくらでも挙げることができるだろう。

それで思ったわけだ。何故皆川博子ではなく芥川賞直木賞受賞作家なのかと。桜庭一樹川上未映子の受賞に異論があるわけではない。新人賞であるはずの芥川賞直木賞がマスコミ的に話題を呼ぶのもわかる。文学であろうとスポーツであろうと,マスコミの土俵では同じ。“ハンカチ王子”も“はにかみ王子”も,“妙齢の美人作家”も驚異の新人出現という点で等価。耳目を引きやすいし,30代の女性二人と御年78歳(ホントはこっちの方がよっぽど驚異だと思うが)の皆川博子を比べてどちらが現在のマスコミの売り方に適しているかを考えれば,答は自ずから明らか。だから出版業界が便乗して芥川賞直木賞を販売促進の一大イベントにしようとするのもわかる。

でもさ,所詮新人賞でしょう。直木賞は中堅作家の賞に変わってきてはいるけど,その年のベストの小説に与える賞ではない。普段あまり小説を読まない人が,宣伝に乗って手にとって読んでみて,読書の快楽に取り憑かれ,これを機に積極的な小説愛好家に転じるなどということは期待できない。一過性のイベントに過ぎないし,特に芥川賞の場合その後の活躍という点から見れば,死屍累々だ。
その辺の事情はみんなわかってきたみえて,年末には「このミステリがすごい」など各種のベスト10特集や「本屋大賞」などの新たなイベントも企画されるようになってはきた。ところが,それらのいずれにも皆川博子の名は,なかなか見あたらない。特に『死の泉』以降の皆川博子は,毎年のように年度最高ではないかという作品を発表し,同業の作家や評論家からの賞賛の声はますます高まっているにもかかわらず,だ。
どうもこのようなベスト10特集にかかわるような人は,大御所の作品は別格として無視して,その時々に短期的に話題を呼んだ作品や,今が旬の勢いのある作品を選ぶ傾向があるような気がしてならない。しかし小説は狭い世界だから,愛好者には“いまさら”であっても,ライトな読者層も含めて,実際には皆川博子の名を知らない人の方が,はるかに多い。

思えば,藤沢周平もそうだった。
Wikiには,「1978年に『春秋山伏記』と『用心棒日月抄』が刊行されるやその人気は一躍不動のものとなり,司馬遼太郎池波正太郎と並ぶ時代小説作家となる」とあるが,そんなことはない。藤沢周平の担当編集者だった倉科和夫によると「私が入社して初めて社の倉庫に行ったとき,ひときわ高い返品の山がありました。3,4メートルはある山が二つ。『喜多川歌麿女絵草紙』という書名で,焦茶を基調にした洒落た装丁の本で,著者は藤沢周平とありました。案内してくれた当時の編集者は,「この人のは中身はいいんだけど,地味だからあまり売れないんだよ』とため息まじりに説明してくれました。」(文藝春秋特別増刊号「藤沢周平の全て」)これが1977年。確かに1978年は転機ではあったが,1980年代前半に立花登シリーズや『よろずや平四郎活人剣』などの代表作を連発していたころも一般的な知名度はまだまだ低く「ぼくの書くものは,そんな派手で面白いもんじゃないし,そんなに売れない」(前掲書)と本人が語る状況が,あった。藤沢周平の名が一般に膾炙していったのは,ようやく80年代の終わりから90年代,現在のような評価が定着したのは,むしろその死後であったと思う。

まとめにはいる。出版業界の戦略として,新人賞である芥川賞直木賞に販売促進を頼りすぎるのはまずい。普段小説をあまり読まない人が,大宣伝を鵜呑みにして作品を手に取り,こんなものかと失望してますます小説から離れてしまう危険性がある。(特に芥川賞)。それよりは,業界内部では周知であるが,一般には余り名の知られていない一流作家を売り出した方が,効果が大きい。それによって市場が拡大する(藤沢・風太郎効果と勝手に命名),二番手作家,三番手作家にも出番が回ってくる。皆川博子を売り出せばいいのにと愚考する次第である。