NOVA2「五色の舟」

NOVA2読了。大森望責任編集の書き下ろし日本SFコレクション。

12人の作家の短編集で,津原泰水の「五色の舟」が収録されている。

「五色の舟」は,未来を予言する怪物「くだん」を介し,大戦末期の時代に見せ物として生きるフリークス一家の救済と喪失を描く短編で,文庫本の頁数にして34頁。
他の作品と一冊に同居した分,素人の私にも分かるほど,津原泰水の巧さが際だった。

例をあげると,一家の座長である「お父さん」の紹介。最初の描写は,


当時のお父さんは,先を失った脚に義足を縛りつけ,杖に縋って歩きながら,よく身投げの場所を探していた。ある晩,杖が折れて河原に転げ落ちて,大切な顔に怪我をした。


であり,しばらくおいて


それからもお父さんの脱疽は進み,すでに切っていた脚の残りも,また反対の脚もほとんど失ってしまったけれど,自分から死ぬことは考えなくなった。僕らのよく知る,今のお父さんになっていった。


と続いて,脱疽によって脚をほとんど失った人物であることが,後から了解される仕掛けになっている。
さらに,そこから12頁を経て初めて,元旅芝居の花形役者という設定が述べられ,「大切な顔」の意味が明らかになるとともに,「お父さん」に執心する「犬飼先生」という人物の振る舞いが,両脚を失って異形の見せ物として生きることを決意し,実行している元役者の有り様を,鮮烈に喚起していく。設定を一カ所でまとめて説明したのでは,この「そうだったのか」という読書の快楽は得られない。作中人物の紹介の仕方一つで,作品の奥行は深くもなるし,浅くもなるのだと納得。
そしてまた注目すべきは,睫毛が長いとか切れ長の目とか,すっきりと通った鼻筋だとか,容貌の美醜にかかわる描写が一切無いこと。
読者の想像力を限定しがちな通り一遍の描写や,想像力を限定するということでは同類の無理矢理な詩的表現は,意図的に避けられているのだろう。

物語終盤,箱に詰められて運ばれた一家が,箱から出されて自分たちの居場所を知る場面は


はじめ戸外かと思ったのだが,塀だと感じていたものを見上げていくと,ずいぶんな高さに天上の梁があった。あちこちに大量の木箱が積まれている。全貌が分からないほど広大な倉庫の片隅に,僕らはいた。


である。ここは,普通の書き手だと,


僕らがいたのは,<数百人は入りそうな,幅数十メートルはありそうな,10メートル以上の高さを持ったetc.>広大な倉庫だった。


と,最初から具体的な数字をあげ,広大な倉庫だったことを説明して書きがちなところ。それを,作中人物の目にしたところ,感じたところの描写から,倉庫の巨大さを描き出す,こうして作中人物の感覚と一体化させられることで,読者は,作品の中に導かれるのだ。

どの作品も,標準以上だと思います。おすすめの作品集です。恩田陸の「東京の日記」は中でも好みだった。それにしても,文章の芸の技術の高さは,とてもとても大切なのだと言う,すごく当たり前のことを痛感した読書体験でありました。