三四郎
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1990/04/16
- メディア: 文庫
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今年の目標を古典強化とすることをここに宣言する。
日本の古典小説は,中高生の時にうちにあった日本文学全集を端から読んだきりで,当時は随分つまらないものをみんな有り難がって読むんだななどと生意気に考えていた。海外SFや山田風太郎の方がずっと面白いじゃないかと。それでも谷崎潤一郎や夏目漱石などは,判らないなりに惹かれる作品もあったし,森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」には,いけないものを読んでいるドキドキ感があったことを覚えている。三島由紀夫や太宰治の作品のいくつかはけっこう衝撃的だった。が,いわゆる日本純文学の主流を形成してきた自然主義文学には全く馴染めず,その後の大学生時代に「純文学」の範疇に入る作家で読んだのは倉橋由美子と大江健三郎と古井由吉以外は,両村上や高橋源一郎や中上健二などの同時代の作家の作品くらいだった。もっとも村上春樹と高橋源一郎,特に村上春樹については,ヴォネガットを先に読んでしまっていた私は,これってありなのかという疑念をぬぐえなかったし,実は今もこだわっている。
さてここ数年,山田風太郎の「日記シリーズ」に刺激されて永井荷風をぼちぼち読んでみたり,内田百罒の諸作品や中勘助の『銀の匙』,さらに中井英夫の『虚無への供物』といった受験文学史に出てこない作品を読んでみて,読み落としている作品がかなりあることに気がついた。中高生の時読み飛ばしてしまった作品も,歳を重ねてしまった今読めば,また違うかもしれない。
そんなことを思いつつ,夏目漱石の『三四郎』を読んでみた。現代仮名にあらためて読みやすくした角川文庫版である。
で,驚いた。
なにがって,夏目漱石って小説が目茶苦茶巧い。
文章のリズム感。会話のテンポ。絵画的な情景描写の冴え。場面転換の巧みさ。特に小説中の時間経過の長短濃縮を自在に操る技術は凄い。
若いときには,こういうことがわからなかったんだということを思った。
そして,ロマン主義だ自然主義だプロレタリアだ,誰それは誰それの友人で誰それの弟子だといった系譜を重視する文学史の解説ではわからないのが,この単純な小説の巧い下手なんだということも思った。